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2023.04.30

民の祈りが堤の原点

おみゆきさんのお祭りでは三つの神社の神輿が三社神社の拝殿に入り神事が執り行われた後に、三社神社の宮司が釜無川の土手で祝詞を奏上してから河原に向かって小石を投げ入れます。この小石には「水神」と墨書されており、それを拾い水難除けとする風習があるのです。
 
この小石を投げる風習は書物で読み知ってはいましたが、今回間近で祝詞を聴いていると、その理由がはっきりとわかったのでした。それは堤防に積んだ石や岩に隙間ができて、そこから水が入り堤防が崩れたりしないよう「水神」と書いたこの小石で、どうか隙間を埋めてくださいという祈りの儀式だったのでした。
 
実は信玄堤は武田信玄が造ったという確たる史料がなく、江戸時代に作られた「信玄堤」という言葉が一人歩きしているだけなのです。私自身は、武田信玄は堤防の管理に関わっていたことは間違いないが、全く何もないところに信玄がゼロから堤を造ったわけではないと考える立場なので、この祝詞を聴いてその思いがますます強くなったのです。
 
つまり武田信玄のような権力者が造ったものなら、曲がりなりにも堤防の不完全さを前提とするような祝詞をあげることはないでしょう。やはり平安の頃からの土着の豪族や民衆が、自分たちが造った堤防や水防設備の貧弱さを身に沁みて分かっていたからこそ生まれてきた堤防の決壊を防ぎたいという祈りの気持ちが小石を投げる神事に繋がったのだと思うのです。
 
今回その祈りの言葉である祝詞を聴いて、歴史は断片ではなく継続しているという思いを強くしたのでした。
 
※追記 もし武田信玄が信玄堤を建設したということが分かる書状が見つかったら世紀の大発見なのです!