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読み札解説「に」

日本の 近代つくった 甲州人
にほんの きんだいつくった こうしゅうじん

小林一三が創業した阪急電鉄と宝塚劇場

日本史においてはペリー来航から大政奉還あたりを境に近代が始まったとされています。
この時期の政治の牽引車といえば西郷隆盛や大久保利通、坂本龍馬といった名前が浮かびますが、残念ながら甲州からは幕末の志士として広く知られる人物は輩出されませんでした。

しかし電力や鉄道といった近代国家に欠かせない社会インフラの整備において、甲州人は全国で大きな仕事をするようになります。特に鉄道では東武鉄道の根津嘉一郎、阪急電鉄の小林一三、日本で最初に地下鉄を建設して営業した東京地下鐡道(現在の東京メトロ等)の早川徳次といった大実業家が生まれます。

またこの3人の実業家は単に鉄道の路線を伸ばし利益を上げることだけに執着したのではなく、人々の心と生活を豊かにし、若い世代を育てることにも心血を注ぎました。
根津嘉一郎は東京青山の根津美術館を、小林一三は宝塚歌劇団やプロ野球の阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)を作り、その芸術・芸能・スポーツを尊重する精神は今に受け継がれています。早川においても郷里山梨で次代を担う青年道場の建設を予定していました。

小林一三が手掛けたことは鉄道を作ることで乗客を増やすだけでなく、街をつくり人々が楽しく豊かな生活を送ることが出来るようにすることだったといえます。今でも都会に住むときは「どこに住むか」ということは「どの鉄道の沿線に住むか」といってもよいくらい路線選びは重要になります。それは通勤・通学、余暇の時間の使い方において移動手段である鉄道の利便性が生活の豊かさに大きく影響するからです。

小林の事業の特徴は日本で初めて通勤電車による職住分離を想定した住宅開発とローンによる住宅販売でした。当時大阪市内の住宅環境は工場地帯に隣接するためか空気は悪く劣悪な環境にあったといいます。そうした中で通勤可能な郊外に庭付き一戸建てを手の届くローンで販売するということは画期的なことであり、またパンフレットを作って売り込むことも斬新でした。「美しき水の都は昔の夢と消えて、空暗き煙の都に住む不幸なる我が大阪市民諸君よ!」「・・・夕に前栽の虫声を楽しみ、新しき手造りの野菜を賞味し、以て田園的趣味ある生活を」と呼びかけるパンフレットの文章も自ら作りました。

時代が下がってからは大阪の中心部へ向けての通勤客の輸送と対になる「逆方向」戦略としての関西学院大や神戸女学院大学の沿線誘致とそれによる路線としてのブランド力の向上や世界初のターミナル駅の百貨店としての阪急百貨店を開業するなど新しい切り口で経営の先頭に立ちます。

また時期は前後しますが余暇を楽しむための動物園や温泉施設も沿線に建設しますが、そこの屋内プールの人気が低迷していました。そこでプールをステージにして少女だけの唱歌隊を作ります。これは完全に一三のオリジナルというわけでなく当時三越呉服店にあった少年音楽隊を真似て、三越の指導を受けて編成したと自叙伝に記されています。

さらに昭和11年には阪急ブレーブス(現オリックス・バッファローズ)を創設するなど野球界の発展に大きく寄与しました。特筆すべきは阪急ブレーブスに先立ちすでに大正時代に「宝塚運動協会」としてプロ球団を立ち上げていたことです。いずれ野球が国民的スポーツになると予想していた一三の先見の明は驚くばかりです。

なお根津嘉一郎と早川徳次については、あらためてトピックスで紹介していきたいとおもいます。