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読み札解説「ゆ」

棡原 長寿の暮らし ここにあり
ゆずりはら ちょうじゅのくらし ここにあり

左上は小粒のジャガイモを味噌と油で炒めた「せいだのたまじ」 協力 梅鶯荘

山梨県の東端に位置し、東京・神奈川からの玄関口ともいえる上野原市。その中心部から北へ5キロほどの山間に棡原地区があります。一見するとどこにでもある山村ですが、ここ棡原のお年寄りは高齢になっても夫婦そろって山や畑での仕事に勤しみ、およそ長く床に臥すようなことが少ないことが注目されて長寿村として有名になりました。

この村の高齢者の生活に最初に着目したのは甲府の医師、古守豊甫です。古守は甲府中学卒業後、棡原小学校に代用教員として勤務しますが、僅か1年で棡原を去り、大学で医学を学び軍医として南方のラバウルで従軍します。

復員後たびたび棡原を訪れた古守は、代用教員時代に交流のあった高齢者が当時と変わりなく山仕事や畑にいく姿を見て驚きます。また棡原では10人前後の子供を母乳で育てる女性が珍しくなかったにもかかわらず、昭和40年代には棡原以外の場所で母乳が出ないことに悩む母親の話を聞き、棡原の住民の長寿と健康に何らかの地域的な要因があるのではないかと考えるようになり「最近の母乳不足を憂う=肉食と菜食をめぐって=」という小論をまとめて長寿研究の大家である東北大学の近藤正二博士に送ります。

そして昭和43年8月に古守は近藤博士を案内して棡原を訪れ実地調査が開始されたのでした。調査の結果、棡原が長寿の村と言われる要因は・・・

古守豊甫博士『健康と長寿への道しるべ』(風濤社)より引用

食生活と労働にあることが分かりました。その地形ゆえ田はほとんどなく主食はアワやキビという雑穀に加え、小粒のジャガイモを皮ごと味噌と油で炒めた「せいだのたまじ」、自家製のコンニャクや発酵食品である酒饅頭が食されています。

また急斜面に開墾した畑を往復するだけでも重労働なので平地の畑仕事とは勝手が違います。もちろん水や肥料の運搬も人力です。このようにコレステロールや中性脂肪と縁遠い生活により成人病になりにくい身体を作ることになります。

棡原の山なみ

ただし、戦後の食の欧米化や嗜好品の摂取量の増加などにより、高齢者である親は元気なものの中年の子供世代が先に亡くなるという「逆さ仏」現象も稀なことではなくなったのでした。

さて棡原での体験などを踏まえて長寿の要因として古守は以下の7つの項目を挙げています。

①主食は「米・麦半々」できれば米は胚芽米に。麦やアワやキビといった雑穀、蕎麦やイモなども主食として食すようにする。

②野菜は種類を多く毎日たっぷり。特にニンジン、カボチャといった緑黄色野菜、ゴボウなど繊維質を含むものをしっかり摂る。

③タンパク質は大豆由来の豆腐や納豆から。肉や切り身の魚よりか小魚など丸ごと食べられるものを。

④海藻、キノコ類、コンニャクなどからミネラル、カルシウムをたっぷり摂る。

⑤味噌や酒饅頭など発酵食品を摂ることで悪玉のウェルシュ菌を抑えて、善玉のビフィズス菌が優勢になる腸内環境を作る。

⑥必ずしも重労働でなくてよいので、日々身体を動かすようにする。

⑦家族や地域の人の輪の中で楽しく暮らす。

いかがでしょうか。白米のような精製された穀類は血糖値を上昇させ動脈硬化のリスクを高めるだけでなく、白米の多食は塩分の多い漬物などの摂取を促し高血圧のリスクも高めて短命になるといわれています。また⑦に関しては、「あ」の札の「明日の元気は無尽から」にあるように気の置けない仲間と楽しく過ごす時間も大切とのことです。

最後に棡原で生を受けた人々が皆長寿だったわけではなく、十分な医療を受けることが出来ずに幼くして命を落とした子供達がいたことも忘れてはならないと思います。

古守豊甫の揮毫 棡原の或る旧家の家訓。