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読み札解説「と」

遠くまで 裾野広げる 八ヶ岳
とおくまで すそのひろげる やつがたけ

八ヶ岳は甲府盆地の北西に裾野を広げて屏風のように聳える山で、山梨県と長野県に跨り南北20㌔にも達しています。名前の云われはギザギザした山が八つあるからということらしいですが、この場合の八は沢山という意味を持っているようです。
最高峰の赤岳の標高は2899mで富士山と日本アルプスを除けばこれだけ高い山はありません。その他に山梨県側の峰としては権現岳(2715m)や編笠山(2524m)などがあります。

その成り立ちは火山で、富士山と同じく広い裾野を広げています。私が初めてその頂を踏んだのは高校1年の夏でした。甲斐大泉駅より権現岳に登り、雷から逃げるように下山しました。途中から雨に打たれ歩いた道の遠かったこと。その裾野の広さが身に沁みました。
濡れネズミの体で辿り着いた甲斐小泉の駅では電車の待ち時間に駅員さんに熱いコーヒーをご馳走になりました。その甲斐小泉駅も、かなり以前より無人駅になってしまいましたが良い思い出です。

富士山の登山ガイドをしていたときは、お客さんを飽きさせないよう話のネタによく使いました。晴れた日は雲海の上にギザギザの頭を出しているのですぐに分かります。八ヶ岳の名前にいまひとつ反応しない方でも、清里やソフトクリームで有名な清泉寮がある山ですよというと「行ったことあります」という方が結構いました。
またときには富士山と八ヶ岳の背比べの昔話を紹介しました。それは・・・

富士山の登山道から見る八ヶ岳。手前は御坂山塊。

今でこそ富士は日本一の山ですが、昔々は八ヶ岳もかなり高く、お互い自分の方が日本一だと主張して譲りませんでした。あるとき白黒はっきりつけようじゃないかということになり、背比べをすることにしました。どうやって山の背比べをするかというと、両方の山の頂上と頂上に樋を掛け、その中間点から水を注ぎどちらに流れるかで勝負するというものです。樋を掛けたり水を注ぐ役を買って出たのは阿弥陀如来といわれていますが伝説の巨人ダイダラボッチかもしれません。

いずれにせよ水は富士山の方に向かって流れました。八ヶ岳は大喜びですが、富士山は怒りがおさまりません。遂に八ヶ岳を殴りつけたため、八ヶ岳の頂上は粉々に割れて今のような形になってしまい、富士山より低くなりましたというものです。

さてこの昔話、あくまで昔の人が面白可笑しく語り継いだものではありますが、地質学的に見ると、当たらずとも遠からず、といえるのです。

八ヶ岳もその昔は今よりかずっと高く標高は3400mくらいあったそうで、下の写真に当時の山の高さを推測で書き込んでみました。それが20万年ほど前に地震か噴火によって山自体が大きく崩れて北杜市や韮崎市方面へ崩れて広がっていったのです。

赤い線は約20万年前の八ヶ岳。地質学の世界では古阿弥陀岳と言われている。

山自体が崩れることを山体崩壊といい、それによって発生する土砂の広がりを岩屑(がんせつなだれ)といいます。これが甲府盆地南部の曽根丘陵まで達していたというから驚きです。つまり20万年前は甲府盆地の西半分は八ヶ岳(古阿弥陀岳)が崩れた岩屑なだれで覆われていたことになります。一説には流出した山体の体積は15立方キロメートル、最大で厚さ200mになったそうです。

この岩屑なだれが広がった甲府盆地北部を長い年月をかけて釜無川(富士川)と塩川の流れが刻んだことで出来たのが七里岩です。航空写真を見ていただければ分かる通り八ヶ岳から広範囲に広がっていた岩屑なだれが左右の川の流れに削られ細い葉っぱのようになっています。ちなみにこの葉っぱがニラの葉に似ているので、その先端にある場所を韮崎と名付けたそうです。昔は飛行機もなかったのに絶妙な地名をつけたなぁと先人の慧眼に感服します。

写真上、中央右の雪を被った山が八ヶ岳

上の写真の赤い線は七里岩、黄色い線は国道20号線から見ることができる七里岩の断崖、青い線は左が釜無川で右が塩川です。そして赤い線の先端が平和観音像がある韮崎市の中心です。

(一社)韮崎市観光協会

上の写真では七里岩がニラの葉の先端のように尖っていることがよく分かると思います。なおその先端部に韮崎のシンボルの平和観音が小さく写っているのですが分かるでしょうか?

さて岩屑(がんせつ)の屑は「クズ」とも読むので、読んでいる方の中には細かい岩か、大きくてもせいぜい軽自動車くらいの岩を想像されているかもしれません。しかし実際は大きいもので1辺が500m前後にもなり、岩屑なだれに乗って流れてきて小山のように盛り上がったまま静止します。

 

流れ山のイメージ 提供 磐梯山ジオパーク

こうした小山を地質学的には「流れ山」と呼び、七里岩の上にもいくつか点在しています。代表的なものが武田氏最後の居城となった新府城です。また穴山駅のそばにある能見城やその近くにも周囲から20~60mほど盛り上がった小山が点在していることが国土地理院の地図からも分かります。

今でこそ草木に覆われていますが、太古の昔においてはこうした小山が、まるで意思を持っているかのように流れてきたかと思うと自然の圧倒的な力に畏れおののいてしまいます。

秋の七里岩  (一社)韮崎市観光協会

 

一幅の名画のような八ヶ岳