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読み札解説「わ」

和して囲もう ワインの卓を
わしてかこもう わいんのたくを

文明開化によって一般国民もワインを目にすることになった明治時代、山梨では山田宥教と宅間憲久という民間人の手により明治7年にワインの醸造がはじめられました。
その後一時は官営の流れもありましが明治10年(1877)に我が国初のワイン醸造会社の「大日本山梨葡萄酒会社」が設立され、本格的な醸造技術を学ぶため二人の青年、高野正誠と土屋龍憲をフランスへ派遣します。慣れない外国での生活の中で二人は1年4ヶ月という短い期間の中でフランス語を覚えながら苦労してブドウ栽培とワイン醸造の勉学に励み、本場の技術を持ち帰ります。
この二人の留学による成果と地元の有力者宮崎光太郎が進めた観光ぶどう園の方式が山梨県のワイン産業の基礎になっているといえます。

しかし当時の日本人はまだ本格的なワインの味に馴染めなかったため、甘味料や薬用成分を混ぜた甘味葡萄酒を販売せざるを得なかったそうです。

また戦時中は物資統制のため酒類の製造販売が厳しく制限されたのですが、日本酒や焼酎などと異なりワインだけは生産が奨励されたのでした。それは何故かというと・・・

高野正誠(左)と土屋龍憲(右)

実はワイン醸造の過程で出来る酒石から得られるロッシェル塩に音波を素早くキャッチする性質があり敵の潜水艦を探知するソナーに用いられたため、酒石を生産する目的でのワイン造りが奨励されたのです。しかし酒石はワインの風味を醸し出すうえで重要な役割を果たしており「ワインのダイヤモンド」と呼もばれています。そのため酒石を抜かれたワインは急激に風味が落ち酸っぱくなってしまうため、本来の味とは全く異なるものになってしまったそうです。

酒石(宮光園)

戦後は養蚕の衰退により桑畑から果樹園への転換が進むとともに、国民生活ではマイカーの時代が幕を開け、首都圏からのブドウ狩りに来る観光客が増え始めます。こうした時代を経て本来のワインの味が受け入れられるようになったのは昭和の後半からといわれています。

近年では海外市場を視野に入れたプロ―モーションや製品開発を手掛ける団体であるKOJ(Koshu of Japan)が平成21年(2009)に山梨県ワイン酒造協同組合等により設立、翌年にはワインの国際審査機関である国際ブドウ・ワイン機構(OIV:Office International de la vigne et du vin)に「甲州」がぶどう品種として登録され国際的な醸造用ぶどう品種として認められたことで、外国においても甲州ワインの名が少しずつ広まるようになってきました。

古来からのブドウの品種「甲州」

KOJ 甲州ワインを世界へ

さらに平成30年(2018)には文化庁が認定する「日本遺産」に峡東地域の「葡萄畑が織りなす風景―山梨県峡東地域―」が認定されました。

日本遺産 葡萄畑が織りなす風景

昨今のワインブームもあり、ワインツーリズムでお気に入りの醸造所を見つけることを楽しみにする人も増えています。またふるさと納税の返礼品としても山梨のワインは人気があるそうです。

今後も生産から醸造・販売まで地域の風土を活かして食卓を演出するワインが産まれて来ることでしょう。