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読み札解説「か」

鰍沢 舟が結んだ 歴史あり
かじかざわ ふねがむすんだ れきしあり

写真提供 ㈱サンニチ印刷 岡田紅陽 撮影 協力 国土交通省 関東地方整備局 甲府河川国道事務所

海なし県の山梨で舟が物流を担っていた時代がありました。
富士川で人や物資を輸送する舟が広く用いられるようになったのは慶長年間(1607年頃)に徳川家康が京都の豪商角倉了以(すみのくら りょうい)に開削、つまり浅瀬や岩場を掘削して舟が通れるようにする工事を命じてからになります。
これによって富士川町の鰍沢から静岡県の岩渕までの70キロを陸路で2日かかったものを・・・

身延町歴史民俗資料館にて撮影

舟では6~8時間で下ることができるようになったそうです。甲州からの下り荷は年貢米、薪炭、生糸などが多く、反対に川を遡るときは塩、生魚、干物や畳表などを積み人が川岸から舟を曳いて4日、後に帆を用いるようになっても2日かかったと言われています。

富士川の登り舟(明治~大正時代の絵葉書)

こうした富士川舟運の玄関口として栄えたのが鰍沢でした。鰍沢の他に青柳(富士川町)と黒沢(市川三郷町)が甲斐の三河岸といわれ、最盛期の明治時代には800艘もの舟が富士川を登り下りしていたそうです。

なお鰍沢より釜無川を遡れば韮崎まで、笛吹川は本流を遡れば石和まで、支流の濁川を遡れば現在の甲府市城東まで舟が達していたので、昔の甲州の川の風景は今とはだいぶ違ったものだったと思います。

富士川三大難所のひとつ「屏風岩」