市川三郷はハンコと花火
いちかわみさとは はんことはなび
写真提供 市川カメラクラブ 協力 市川三郷町役場
市川三郷町は甲府盆地の南、ちょうど笛吹川と釜無川が合流して富士川になるあたりの東側に位置します。
山梨県では江戸時代より北部の山岳地帯で発掘された水晶を用いたハンコづくりが行われていました。その中でも市川三郷町の旧六郷町一帯はハンコ業者が多いことで有名です。もともと六郷では農閑期に足袋を作り行商をしていましたが、明治になり機械化による大量生産品に市場を奪われていくなかで、新たな産業としてハンコづくりを始め、足袋の行商で培った営業力で販路を伸ばしていきました。
また明治6年(1873年)の太政官布告による印鑑登録制度により、庶民のあいだでもハンコの需要が高まったことも追い風となり、今では全国トップクラスのハンコの町になりました。ちなみにハンコと印章は同じ意味でいずれも手に取って押す物のことを指します。よく使われる印鑑というのは紙に押された印影のうち登録してあるものを指します。
もうひとつの花火は武田氏が活躍した戦国時代にそのルーツがあるといわれています。なぜならば・・・・
当時は情報伝達手段として狼煙が用いられていました。市川三郷町は駿州往還の甲府盆地への入り口に位置し情報の要衝であることから狼煙に関わる技術者がいたと考えられます。
こうした歴史的背景のなかで狼煙で培った技術が江戸時代に鑑賞用の花火として花開き、甲斐の市川の花火は常陸の水戸、三河の吉田と並び日本三大花火といわれていましたが、明治以降は衰退していました。しかし平成の世に「神明の花火」として蘇り、今では夏の夜空に大輪を咲かせ、多くの人を楽しませてくれています。