facebookページ

お問い合わせ

読み札解説「ね」

粘土節 明るく励ます お高やん
ねんどぶし あかるくはげます おたかやん

写真提供 中央市粘土節保存会

粘土節は山梨県の釜無川周辺に伝わる民謡で、民衆が堤防の土を固める作業をしながら歌ったといわれています。

明治18年の釜無川の大氾濫の後に政府は周辺住民に出労義務を課し堤防工事を行います。当然のことながら工事はすべて人力です。男はモッコやトロッコ(釜無川周辺ではビールといった)で土を運び、女は杵で粘土を固め「平打ち」という板に柄を付けた道具で堤防の傾斜を作っていったそうです。

このとき小井川村(現中央市)に住む美声で器量よしの17歳の娘「お高」が粘土節を歌うと、作業がはかどったといわれています。今でいうところのご当地アイドルのような存在だったのでしょう。なんといっても毎日会えるわけですから。

その後お高やんは堤防工事の現場で知り合った男性と・・・・

結婚して昭和7年に63才で亡くなり釜無川のそばの妙泉寺(中央市布施)に眠っています。戒名は誓秋妙達日高信女。墓誌の俗名は「たか」となっています。また妙泉寺の銅像では「お多か」となっています。

菩提寺の妙泉寺に立つ銅像

今では粘土節は地元中央市の無形文化財となり、保存会が中心となって継承を進めており、地元の小学生も運動会や地域の祭りで踊りながら覚えています。また中央市も町おこしの一環としてお高やんのアニメキャラを作成し広報に一役買ってもらっているようです。

粘土節保存会の皆様

いずれにしても100年少々前には洪水から家や田畑を守るために自分たちの肉体を使って汗を流しながら今に続く堤防を作るため黙々と働いていた人々がいたことと、辛い労働の中でも朗らかさを忘れずに明るく人々を励ましていたお高やんの唄声が響いていたことを忘れてはならないと思います。

中央市臼井阿原付近の釜無川