タワーといえば 内藤多仲
たわーといえば ないとうたちゅう
東京タワーを設計し「塔博士」と言われた内藤多仲は明治19年(1886)に山梨県南アルプス市に生まれ、甲府中学から東京大学に進み建築学科で鉄骨構造の研究を行いました。
アメリカに留学したときに、旅行トランクに目一杯荷物を詰めようとして仕切り板を使わず壊してしまったことから耐震構造のヒントを得て研究を重ね「架構建築耐震構造論」を発表して工学博士となります。
関東大震災では多仲が設計した日本興業銀行などの建物には被害はなく、その理論が優れていることが証明されました。大正14年(1925)にラジオ放送が始まると多仲は毎年のようにラジオ放送塔の設計を行い、戦後はテレビ放送用のタワーの設計に携わり名古屋、別府、札幌で建設されますが、その集大成といえるものが・・・
昭和33年に完成した高さ333mの東京タワーです。これに展望台として造られた大阪の通天閣とラジオ放送用の博多タワーを加えタワー6兄弟といっています。
現在では東京タワーが放送用アンテナとしての役目をスカイツリーに譲ったように、いくつかのタワーは既に放送塔としての役目を終えています。それでも多仲が丹精込めて設計したこれらのタワーは、これからもその街を見守ってくれることでしょう。
さて塔博士といわれた多仲はタワー以外にも数々の建築物の設計に携わってきました。
山梨県にもその建物がいくつか残っていますのでそのうちの2つをご紹介したいと思います。
ひとつは山梨県庁本館で昭和38年に落成しました。
もうひとつは甲府市伊勢にある宝塔山遠光寺(おんこうじ)の本堂です。山梨の交通情報でしばしば登場する「おんこうじ北交差点」はこのお寺の北西角の新平和通りにある交差点です。
ここの本堂は鉄筋コンクリート造りで、昭和45年7月に完成していますが、多仲はその直後の8月25日に没していますので、最晩年の業績のひとつといえます。写真では分かりにくいですが、1500㎡ある本堂は法隆寺の夢殿をイメージした八角形の建物で、通常の寺の本堂とは異なる造りになっています。建設当時の住職であった加賀美日聰氏は、寺の公益性に鑑み多目的機能を備えた本堂にしたいという想いがあったそうで、それに多仲が応える形で出来上がったものといわれています。